成長観察日記

競プロとかPythonとかに関しての成長記録

2年前から夢だったpaizaランクSになった話

うれしい

うれしすぎる

2年間、ずっと夢だった。本当にうれしい

どうしてこんなにうれしいのかを伝えたいので書きました! 相変わらず小説です。有益な情報はないです…ということで、よろしくおねがいします!

大学卒業〜

2014年4月に大学を卒業。 音楽の情熱と一緒に夢を追いかけつつ、アルバイトやフリーランスで制作業務をする日々。

しかしまあ 夢は夢で終わらせたほうがよい ってことも、あったんですよね。
そんな素敵なことに気付けて、2019年2月、満員御礼のライブハウスにて、表舞台での音楽活動を終えた。

それから2年後、とある派遣に登録したところ「弊社の社員になりませんか?」とスカウトを受ける。
タウン●ークでアルバイト応募したら、タウン●ークから「うちの社員にならん?」って言われた感じですね。最初、何が起こったかわからなくなるやつ。

なんと、書類選考もすっ飛ばし、いきなり社長面接。
そのあと会議室で10分くらいぼーっとしてたら「おめでとうございます、内定です!」と、内定通知書をいきなり渡され、口をぱくぱくするしかできなかった。

机の下でこっそりiPhoneをいじり、母に連絡。「まさかのいま内定でた!就職だ〜!」と送り、連絡したい人々の顔が次々に浮かんできて、とてもぽかぽかした気持ちに。

そんな感じで、2021年4月、はじめて†しゅうしょく†を、しちゃいました!

就職

配属されたのは、就活事業部。

週3日の在宅勤務(当時は、フリーランスの仕事を並行したかった)で、出社は2週間に1回。

文書の校正をしつつ、WordpressやHubspot CMS機能をいじいじする人だった。
コードを書くのは楽しいけれど、部内には他にコーダーさんがいなくて。コーディングでわからん…なところを聞ける人は特にいなく。それがちょっとさみしかったな(持ち前の馬力で全て解決していた。えらい)

競プロとpaizaを知る

夏頃に神(わたしに競プロを伝来した人)と、フリーランスの仕事で出会い、競プロの存在を知る。

フューチャー社さんの文章校正をしていた時に、直属の上司の方が【競プロ】を【競技プロ】と校正していたのを見て、すかさず「あ、これはそのままでよいです。競技プログラミングの略称は、競プロです。」と訂正できたの、とてもよい思い出。
(当時は競プロといったらフューチャー社さん!というイメージが強かったし、校正してて競プロという単語に出会ったのは、パナソニックさんくらいだったかな)

ちょうどその頃、部内でpaizaのスキルチェックがテスト導入される。
出社時に、B以上がボーダーラインだけど、高すぎるかなあ?という話を小耳に挟んで「すごいなあ、プログラミングできる人々…結局、やりたいと思っているだけで、ちゃんと勉強できてないや。」と、ほんのり切なくなりながら、営業さんにいただいたヤクルトをごくごくしていた。
※個人的に、CMS構築は組み合わせ要素が強いから、PHP / JavaScript / HubLが書けても「プログラミング」ではなく「コーディング」してる、という気分。ちなみにCSSは大好きよ!オタク喋りになってしまうわ!

paizaSランクのすごさを知る

秋頃のとある出社日、昼ごはんにマック頬張って帰ってくると、部内が湧き上がっていた。
なんやなんや?と聞きに入ると、paizaのコーディングテストでSランクの人がいた、とのこと。

「Sとか超優秀じゃん!どこの企業さんにも紹介できるよ〜」

すごいすごい、とみんな言うので、相当すごいんだろうな、と思ったと同時に「自分もランクS取れたら、こうやって喜んでもらえるのかな」とも、思った。
でも、まだ競プロをはじめる気には、なれなかった。数学もプログラミングもばっちばちにつよい神だからこそ楽しそうにできるのであって。両方すっからかんの自分なんかにはできっこない、と思っていた。

AtCoder茶≒paizaSを知り、AtCoderに登録する

冬頃のとあるオンライン飲み会中、神に「そういえば、paizaSってAtCoderだとどんくらいすごいんですか」と聞くと「レートでいうと下から2番目、茶色です。さらにその上が7段階あります」と答えてくれた。

チューハイをこぼした。めっちゃびっくりした。

あんなに希少扱いされているSランクよりもすごい人々が、ごっそり、いる…??ええ……???
と、一般人からしたら、意味わからん世界だった。なんでいまこんなにどっぷりなんだ?慣れってすごいねえ

「じゃあ、AtCoderで茶色になったら、paizaSになれますか」
「ですねえ」
「こんなわたしでも、茶色になれるんでしょうか」
「もちろんです!」

おめめがたいへんにキラキラしてたとおもう。
当時青コーダーのすごさの感触すら「すごすぎてすごいということしかわからん」のレベルだった。語彙がなくなるやつね。
そんな人に できる と言われたら、できる気がした。

そんな経緯で、いつもの酔っ払いの勢いでAtCoderに登録し「burioden」が生まれました。

ID名の由来、語ってなかったのでついでに。
登録するときに咄嗟に、会社でのあだ名「ぶり」+当時のアーティストネーム「おでん」を、くっつけた。
会社でのあだ名は本名由来で、営業さんがつけてくれた。橋xxの橋→bridge→ぶり。個人的にぶりはいっちゃん好きな魚なので、すごくうれしかった。
アーティストネームも、友達がつけてくれた。最初の案が「ガパオ」だったけれど、ちょっと匂いそうなので他の…とわがままを言ったら「えー、じゃあおでん」とぶっきらぼうにつけてくれた。
おでんはいろんな具が入ってて自分みたいだな、と思ったので、とても嬉しかった。

ところが、その直後、もろもろあり…悔しながらも休職期間に入ってしまった。
休職期間に入った直後、はじめてABCに出て、0完した。Weird Functionめ…

休職〜退職

フリーランスの仕事はぼちぼちやりつつ、頑張って生きていた。
が、なかなか復職許可が降りず、3月に休職期間満了で自然退職。

かなり悔しかった。もう二度と就職できないんじゃないか…?って不安も、あった。

それでも「茶色になれる」を信じて、ぼちぼち競プロを続けた。
一度は諦めたものの、神と深酒して再び決意したりなど。根底にある「paiza Sになりたい」が、ゆらゆらしながらも競プロのモチベを支えていた。

※この辺詳しくは入茶記事で語っています

はじめてのスキルチェック D→Cランク

競プロに戻ったあと、すぐに初のスキルチェック。
初めての提出は2022/07/12 00:19「D189:何周年の確認
無事正解して、Dランクになった!わーい!

さすがに簡単だったので、5分後に「C084:【キャンペーン問題】枠で囲む 」を正解して、Cランクに。

このままB行くか?と思いきや、当時のAtCoderレーティングが54という、とんでもなくよわよわ灰コーダーだったわたくしは「ボーダーと呼ばれていたBランクに、そんな簡単になれるわけないだろ」と、弱気にいったん離脱。

paizaの問題はご存知の通り、ランクアップのチャレンジは1度だけ。わからなくても他人には聞けず、間違っていてもどこが間違っているかわからない。
たいへんもやもやする孤独な戦いのため、正直避けていた…という節も、なくはない。

C→Bランク

9月24日、忘れもしないABC270。はじめて神と一緒に出たトヨタのコンテストで、ひさしぶりの0完をした。1-2-4 Testめ…
すっごく悔しくて、その後精進の塊になったのを機に、4日後の28日にBランクを受験。ちなみに、当時のAtCoderレートは96。
たしかタイトルだけで選んだ「B095:カラオケ大会」は1ケース落としてしまい、無念の89点。

「やっぱBランクは、むずいよなあ…」と思いながらも、後少しで行けた感覚はあったため、続けて「B117:回る教習車」を受験。こちらはしっかり100点が取れて、めでたくBランクに!

Aランクに、なれない…

11月14日、はじめてAランク問題に挑戦。
A066:連勤記録」で全問題TLEし、0点(どうして…?)
ちなみに、当時のAtCoderレートは198で、右肩上がりをし始めて調子に乗っていたのだろう。その後すぐに解いた「A052:階段登り」も惨敗。

やっぱり、Bランクのようにはいかない。Aが壁すぎる。と、一旦諦め、AtCoderに戻る。

入茶した!が、Aランクになれない

12月24日クリスマスイブ、ABC283で大勝利をし、クリスマスプレゼントとしてAtCoder茶色をいただいた!やったー!
そのうれしさのまま記事を書き(今と同じことしてるなあ)投稿した後に寝て昼夜が逆転。落ち着いた26日早朝、再びAランクの「A057:最長スワイプ」に挑戦するも惨敗。

「やっぱり茶色になっただけでは、Sは程遠いのか…そりゃそうだ、わたしの武器って、はやときだもんなあ…(頬濡らす涙)」

年が明けた2023年1月7日に挑戦した「A023:週休2日制」もクリアできず、しばらく期間を空け、7月20日に挑戦した「A053:RGBの個数」もかなしい結果に。ちなみに当時のAtCoderレートは568。

半ば諦め気味に、キャンペーン問題をチラリと解いたりなどしていた。

もうAがダメならSだ!もちろんなれない…

7月22日、またトヨタ主催のABC311で負ける。レートは548に落ち、それまでの連勝記録がストップ。2ヶ月間の停滞期に入る。
悔しくてはじめてのSランク問題に挑戦してみる。AがダメならSランクだろ!!(????)という思想、嫌いじゃない。

S039:ボスの部屋」を受験し、もちろん惨敗。レートは横ばい。ぬーん

転職活動をはじめる。でもまだAになれない…

10月に転機が訪れ、転職活動を開始。
つまり、また†しゅうしょく†をするために動き始めたのだが、いかんせん就活もしたことがなく、体当たりでたくさんを学ぶ。

そんな中、11月4日、HHKB主催のABC327で勝ち、AtCoderレートが643に!やったーー!!
ということで、その3日後の7日にまーた挑戦したSランク問題は「S049:開発の見積もり」 なんというか、例に漏れず負けた。99分の思考中、諦めが出てしまった部分が災いしていた…

やったー! Sラ…じゃない、Aランクだ!

翌週の11月11日、あれだけ負け続けたトヨタ主催のABC328で大勝利し、AtCoderレートが694に!すごい!!
2日後の13日、トルコアイスか?ってくらい粘度の強い諦めの悪さを発火させ、Sランクの「S007:データヒストグラム」に挑戦。

なんと。はじめて!全テストケースに正答し!見事Sラン…ク、には、なれなかった。

かけた時間が 144分49秒 だったから(やばい)

しかしレーティングは上がり、無事にAランクへ!やったー!!あとちょっと!!

やったーやったー!最終面接に残れたし、Sランクになったー!!

そして、本日11月29日。
paizaを利用した転職活動で、はじめて最終面接に残ることができた。
友達と焼肉を食べた。厳密に言えば、いい肉の日だったから焼肉に誘い、エレベーターホールで待っている間に結果が届いた。

帰宅後、ナップザックDPを履修。成長!その後、最終面接の内容確認で開いたpaizaのページ上部に「S002:最短距離を測る 」がちらりと見える。

「なんか、いける気がする」という軽やかな類の勘は、当たることが多く

20分4秒で正解!
ついに!Sランクを達成しました!!!やったあああああああ

直前11月25日のABC330では惨敗し、AtCoderレートは698(-23)してしまっていたが、paizaでは勝てた!
選考通過のうれしさが原動力だったことと、勘を信じてよかった。とてもうれしい。

これから

あした、というか、今日か。
ダメもとでというか、ただ自分のエゴだけれども、直属の元上司の方に、連絡したいと思っている。

休職に入る時、勢いで約束してしまっていた。
「休職期間の3ヶ月以内にpaizaSになって、戻ってきた時にもっと貢献できるように。頑張って勉強します」と。

やり始めたら3ヶ月は無理オブ無理だったのだが…(愚か)

結果的には苦い状態になってしまったけれども、paizaSになるという約束を果たせたこと、元気でやっているということは、やさしく軽やかに伝えたいな、と思う。

これが最後のわがままなので。きっと。人生初の上司なら、聞いてくれるだろう。なんて甘えてみるよ。

よーし!転職、がんばるぞー!!